〈徒然〉さぁ、GWをどうするか?2007年04月28日 00時56分00秒

さぁ!ゴールデンウィークだ。
と、茶碗と箸を持ってやおら立ち上がってもどうしようもないのであるが、兎に角言ってみる。まぁ例年のように予定は未定なのだが。
ひとまずは、日頃出来なかったことでもまとめてやろうかと思う。

1.自家用車の冬タイヤ交換。←まだスタッドレスなんですね。暖冬だったのに。
2.部屋、風呂、トイレの掃除。←つまり殆ど全部。
3.庭の芝養生。←草むしりが芝生育には大事。

こんなところか…。これでは一日二日あれば終わってしまうではないか。
これが普通の人なら数ヶ月前から旅行などの予定を立てておくのだろうけども、出不精な自分は行き当たりバッタリなのであった。

ブログ一発目がこんな事でいいのか!

〈アイススケート〉名古屋スポーツセンターは今日も熱い2007年04月28日 22時48分51秒

 連休初日、休日設定の目覚ましで一旦起きたものの、どうにも眠い。
もう一度床につき、気がついたら昼12時前…。いつもの怠惰な休日が始まった。
 雷と急な風と雨の音を聞きながら、中途半端な昼食。その後シャワーを浴びる。そうこうする内に午後2時だ。このままでは今日が終わってしまう危惧が身体を動かし、アイスホッケー靴と着替えをカバンに詰め、いざ名古屋は大須の名古屋スポーツセンターを目指す。休日取り立てて予定のない日は、スケートなのだ。
 4時前に到着。準備運動もそこそこに靴を履きリンクへ出る。GWの初日にしては入場者はあまり多くないようだ。
 リンクを数周すると、岐阜はサンピアの常連さんが来ており挨拶を交わす。サンピアの今冬営業が終わったので、ここ大須まで来るしかないのだが、フィギアはもとより大学・高校を始めホッケーの練習もあり、滑っている人たちのレベルが高いので、自ずとこちらの滑りにも力が入る。
 今日はあの伊藤みどりさんや浅田姉妹を育てた、山田コーチもリンクで指導している。運動不足解消目的で滑っている当方としては、迷惑を掛けないよう隅っこの方をひたすら滑る。
 1時間ほど滑っていると、リンク2階の観覧席にテレビクルーと見られる3人組がVTR機材をセッティングしだした。誰か有名な人がくるのだろうか?と思っていると、やおらインタビューが始まったようで、カメラを向けられているのは女性のようだ。
 リンクからは2階席で横を向いているその女性の横顔だけしか見えず、判然としない。滑っている仲間に聞いてみるとどうやら、伊藤みどりさんのようだ。インタビューを受ける前にどうやらリンクで子供の指導をしていたようで、マフラーで口元を覆っていた人がいたがその人がつまり、伊藤みどりさんだったようだ。
 ん~っ、やっぱり名古屋は熱いなぁ。あんなすごい人がすぐ隣を滑っている!同じリンクで滑っているのは何だか奇妙な感じで、直接的には何も関係はないが、何だかちょっと誇らしい気分になるから不思議だ。
 営業時間の6時まで滑り大須を後にした。

玉子丼¥290也2007年04月29日 23時03分34秒

玉子丼食券の半券
 所用で名古屋は中区錦へ。

 自宅近くは田畑が残っており、若草色にそまっている。
 名古屋まで来るとさすがに街路樹は萌葱色だが、強い日差しで早くもアスファルトは焼けている。

 その代わりといっては何だが、道行く人々は華やぎ来る夏を先取りするかのような出で立ちの女性たちに、目が眩むばかりだった。

 そうこうする内に、所用は20分ほどで片付き13時すぎだったこともあり、お腹が空いてきた。
 ふと目にとまった定食屋の看板。店舗前の食品サンプル陳列棚の『玉子丼¥290』の安さに食欲が刺激され店内に入る。
 食券購入式の店で、丼物の他に定食各種と麺類がある。
 食券を買い二人がけのテーブルに陣取ると、店員さんが食券をミシン目から切り離しオーダーとなる。食券と言えば、子供の頃デパートの食堂で家族食事を取るときには、食券を買っていたっけ。
 待つことおよそ5分。大きめのどんぶりにご飯が隠れるほどの卵が乗った玉子丼の登場。早速箸をつける。
 卵はトロッとしており、出汁は甘すぎず辛すぎず丁度良い。卵の下のご飯はと言うと卵がトロッとした分べた付いていそうだが、小粒でしっかりと歯ごたえがあり美味しい。自分好み。
 ご飯は1膳半ほどはあったろうか。途中箸を休めることもなく完食した。食券購入式と言うと無愛想なイメージだが、店員さんの愛想も良く、『ご馳走様』で店を後にした。

〈Movie〉BABEL2007年04月30日 23時21分17秒

BABEL半券
 待ちに待った映画『バベル』をTOHOシネマズ岐阜で観てきた。200席ほどの中規模スクリーン9で、いつものように通路側の席に陣取る。

 映画の内容は観た方が手っ取り早いというか、論より証拠で説明するには僕の『キー力』が全く足りない。

 もし、世界の言葉がたった一つだったら、人間は幸せに生きることが出来るだろうか?争いもなく、家族円満で人種の壁なんてそもそも存在しないだろうか?例え、狩猟のための銃が存在しても人が傷つくことはない?子供の行く末、行動に過敏になることもない?。

 一つの仮定として、日本語が全世界の共通語だとしてみる。全世界と考えなくても今いる日本を考えてみると、日常的に行っているコミュニケーションは果たしてスムースだろうか?確かに相手の言葉が判れば、考えていることがお互い通じるだろう。でも、ちょっとした言葉の食い違いからくる『誤解』、『疑心暗鬼』、『嫉妬』、『不安』は発生してくるように思う。

 心の問題か?後ろ向きな気持ちが駄目なのか?無垢で真っ直ぐな心の持ち主なら言葉の食い違いも大丈夫か?

 まぁ、何だか『?マーク』一杯の感情が後から後から湧いてくる。そんな事を色々考えさせる映画だと感じた。